Shiroの見た外の世界

気まぐれに撮り溜めた写真を備忘録として整理しています。 その中から海外で撮った食と風物の絵風景を披露させて頂きます。 とは言え中国に偏ってしまいました。 よろしかったら立ち寄ってみて下さい。

★上海と毛澤東、そして家族生活  (中国)


ぶらり、上海にある毛澤東が一時家族と共に生活をした旧居を訪問した(2018年8月)


毛澤東の家は、上海に2軒あるが、
1924年6月から11月中旬まで家族で住んでいた上海の家を訪問した。
党の上海執行部勤務時代~生家は中国南部ー湖南省湘潭市の韶山市


訪問した家の名:『上海茂民毛澤東旧居陳列館
(もう一軒は『毛沢東寓所旧祉』1920年に一時身を寄せた家 ↓)


今は上海市の重要な歴史記念館となって公開されている
―毛沢東の上海での生活環境
―上海での活動の足跡
―時代背景
を示す陳列館になっている
(中国語がわかり、事前知識がそれなりにあったら、いろいろわかったのだが
 学習不足!残念)


茂民路 ↓

住居入口 ↓


入ると敷地正面に見える像↓

毛澤東の家族の像
奥さん 陽開慧
長男 毛岸英
次男 毛岸青
義母


館内



最上列向かって左から二番目↑ 毛澤東




当時の住居周辺↓

辛亥革命後1916年、1918年の中華民国↓




1924年のころの中国
孫文が新しい時代を切り開いたとはいえ、国のありようをめぐって揺動している時期
1924年は、孫文が亡くなる前の年、国共協力時代(清王朝の残党と対峙するために国民党と共産党とが協力共闘した時代)の一コマ
毛沢東は国民党の会議に出入りし、党幹部にもなっている(1924年1月)⇒上海勤務
(清王朝の武力残党と対峙するために国民党と共産党とが協力共闘した時代)


新しい時代を創ろうとする熱血活動家は、上海で活動していた。
上海という町(Shiroの見たて)の
―北京との距離間
―国外に開かれた町
―文化人も集まっていた町
という点が、活動家の寄り付き便宜だったのだろう。
(孫文₋広州、蒋介石₋寧波、毛沢東₋湖南省、宋慶齢₋江蘇省など)


宋慶齢の住居ーこの近くにある
     ↓宋3姉妹の写真(向かって右端が宋慶齢₋孫文の奥さん)

↓魯迅の住居・記念館も上海にある(上海市の北東部ー虹口区四川北路)


この記念館は、石庫門様式の建物ー「建築」の視点からも興味深い、と言われる




石庫門様式の建物
長屋横丁形式の居住建築
表通りの内側に裏通りがあって、その裏通り(路地裏や横丁を上海では弄堂という)を囲んで住居建物が塀を成すように配置されている。表通りへ通じる出入り口は限られていて、各住戸の共通門となっている。裏の路地に面して各住戸の出入り口がある。
外敵から守る便利仕立て。
一つの門を閉めるだけで長屋は守られる。またこの横丁に入り込んだら、どの住居の住人かはわからない。
現在のマンションやアパート様式になる前に流行した住居様式。
(個住宅から集合住宅に移り替わる途上の住居スタイル)

周辺の街並み(茂名北路)



☘~以上
訪問ありがとうございます。

×

非ログインユーザーとして返信する