Shiroの見た外の世界

気まぐれに撮り溜めた写真を備忘録として整理しています。 その中から海外で撮った食と風物の絵風景を披露させて頂きます。 とは言え中国に偏ってしまいました。 よろしかったら立ち寄ってみて下さい。

なぜここに? 江古田通りとその界隈

東京は 中野区と練馬区を南北に一定の区間「江古田通り」が走っている。


普通に歩いていると、どこにでもある普通に庶民の街であるが、少しこだわってみると
なかなか興味深いところである。

昭和の大歌手邸宅跡地に立つマンション


一定の区間とは ザックリ感で言うなら東西に走る新青梅街道(中野区)と千川通り(練馬区)の区間。徒歩およそ30分の区間
である。
イメージを描きやすくランドマークを挙げて言うなら、
江古田の森公園という大きな公園の少し南寄りから北は西武線の江古田駅地点の区間である。

武蔵野音楽大学


❶中野区と練馬区の境となるのが「目白通り」。

目白通り(横に走る通り)と江古田通り(縦に走る通り)との交差点


ここを境にこの通りの読み方が異なる。
 →中野区道は「えごた通り
 →練馬区道は「えこだ通り
 なぜこんなことに?
❷冒頭“ザックリ”と言ったが、正確に言うとこの通りの北の終点は江古田駅のもっと先「要(かなめ)町通り」と交差するところまで。この辺りに「武蔵野音楽大学」がある。


練馬側の「江古田通り」は確かに「江古田駅」の踏切周辺で終わり、その先は「小竹通り」ということになている。この「江古田通り」「小竹通り」は通称らしい。
固く言えば練馬主要区道18号線というそうだ。


❸もっと、面白いのは
中野区側の「江古田通り」は、俗に「チャンチキ通り」とか「おけさ通り」と言われたそうだ。
なぜって?
この通りに面して、昭和の大歌手「三波春」先生の大きなお
屋敷があったからである。

昭和の風情が今なおたっぷり残る”チャンチキ通り”

なおも少し進むと、江古田の森公園が広がる

右手の茶色の建物が、三波邸跡地に立つマンション

このマンションを左手に江古田駅方面を望む


一般には、世田谷じゃないと思うのだが、なぜここにとつい疑問。
地理的には交通の便はいい(環状七号線、北陸・東北を結ぶ目
白通りに近い)。
江古田の街にも近い、からか。


❹お寿司がお好きだった「三波春夫」先生

 ~通われた寿司屋さんの情報~
お屋敷のすぐ近くにも寿司屋さんがあるのに、なぜ千川通りの
お寿司屋さんに通ったのだろうか。

当時はお屋敷の近くに寿司屋さんはなかった?
いや、そんなふうに思えないけど。

千川通りに面している



❺目白通り沿いにある”おしゃれ”なケーキ屋さん
 なぜこの界隈にこのケーキ屋さんが?


❻ずっと、北に進むと「音楽大学」がある。
なぜここに「音楽大学」があるのかしら?
閑静な住宅街に取り囲まれるように。
すっかり建物が生まれ変わった。


 ここの「楽器博物館」はおすすめ。
 最近は長いこと閉館しているが、来年1月再オープンと聞く。
 (要確認)
 楽器と資料は5300点と言われる。
 前に入館したときの陳列(校舎のリニューアル前)
 1階 ピアノ
 2階 西洋楽器
 3階 民族楽器(日本の琴、笙などはここ)
 Shiroがびっくりしたのは、ピアノの種類の豊富さもさることな
 がら「ストラリバリウス」のバイオリンが手に触れよとしたら
 触れるような近さに、おびただしい数陳列されていることであ
 る。クレモナ(イタリア)を訪れたって、こんなに充実した陳
 列館はない。


シューマンの奥さんが愛用していたピアノ、ヴィクトリア女王がナポレオン三世に結婚祝いとして贈ったピアノも収蔵されている。 どうやってそんな高価なものが手に入ったのだろうか。

閑静な住宅地、左手に大学


大学(左手)

~以上

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