Shiroの見た外の世界

気まぐれに撮り溜めた写真を備忘録として整理しています。 その中から海外で撮った食と風物の絵風景を披露させて頂きます。 とは言え中国に偏ってしまいました。 よろしかったら立ち寄ってみて下さい。

ここまで来たか、中国、庶民の遊びと国~制限 ( 仮装・ネオン・オブジェ等)


夏以降「中国芸能界規制」とか
「中国芸能界、世間を騒がせた芸能人を一斉締め出しか?」などといったニュースがあふれている。


<以下写真 成都の街の遊び風情>


 Shiroは、少なからず 風向きの違いを感じている。息抜きにまで手を突っ込むか。大陸はちょっと変わってきたかな、と。なぜなら、これまでこんなふうに聞き、思っていたからだ(興味があったら 下段Shiroが最近まで見聞していた話 を参照ください)。


 そうなる政権の動機はわからない。が、Shiroは ザックリ感で言えば、政権の「戦々恐々さ」「焦り」の昂じからだと思う。角度を変えて言うなら「慎重さ」「脇の硬さ」。そうさせているのは、現在環境だ。世界、とくに先進諸国と言われる「自由」「資本主義」を標榜する諸国からの敵対視、ネット電波による情報の浸透に囲まれ、これまでのやり方では異論を自分たちの都合の良い方に制することが追いつかなくなってきている、ということじゃないだろうか。
 国際舞台でのとんがった存在感が呼び込んだ波高し現象とITの威力が昔と違う要素として矯正機能となるか。


 同調、共感者の動きが、悪い風が吹くと、都合の悪い種の集団力となり、それが芽を出し、政権を揺るがし、やがてはおよそ100年の党を動かしかねない事態に発展する可能性を摘み取っておきたい、という動きだと報道されている。


Shiroが最近まで見聞していた話
 外目に映る窮屈な政治・社会政策の諸々があっても、巷の生活のなかに「娯楽・享楽」は確保されていた。それまで奪ってしまったら国の力を構成する国民が言うことを聞かない、挙句は国家のリーダーに歯向かう力を生み出すことになる。


日々の生活の中の遊び


 国民が「娯楽・享楽」に興じてくれることが政権・国家を束ねる側にとってはありがたい、という話だった。あの 文化大革命のときでさえも、麻雀などの遊びはできた、と聞く。息抜きは、うまく行く知恵だ。




 もともと、中国の方々は遊びが好きだ。
現代人の私たちは「今」を見る。いや、一義的には「今」が見える。中国の今は、アメリカや日本の「自由」「民主」とは異なる体制ということになっている中国として見る。ある意味 ストイックな生活観を想像する。その中国も今から100年ほど前は、そういう体制ではなかった。その時も、その前の時代も、「娯楽・享楽」は「風俗」視点の行き過ぎを取り締まることはあっても、容認されていたと思う。


 2017年の今も、写真のような風情だ。それからつい2019年もこの空気は変わっていなかった。



ネオンの遊び



仮装の遊び


2017年11月撮影



☘~以上

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