Shiroの見た外の世界

気まぐれに撮り溜めた写真を備忘録として整理しています。 その中から海外で撮った食と風物の絵風景を披露させて頂きます。 とは言え中国に偏ってしまいました。 よろしかったら立ち寄ってみて下さい。

安倍元首相の国葬反対 その2

前の記事で申し上げたこと、以下のような思いがShiroの中に、煮えたぎっていて賛成する気になど全くなれません。民主政治の基本をないがしろにした点はすべての美徳をかき消してしまいます


加えて、多額の国費=国民の血税を使用すること、統一教会との関連性もあります。
今我々を苦しめる 国難の状況は、まさに安倍元首相の長期政権の所産でしょう。
国難の状況とは;
・経済問題‥‥‥物価の根深い高騰の続伸、円安の進行、給与所得は低いまま、その結果、 
 一般国民所得と物価の乖離がハサミのように広がっている、
・エネルギー問題‥‥‥化石燃料や原子力発電に替わるエネルギ―開発とその供給体制の整
 備推進の遅れによりエネルギーの供給が需要を賄えていないこと、その結果、電力の使用 
 制限やこれまでにない深刻な諸物価の高騰という形で一般国民生活を脅かしている、
などなど。
過去10数年の負の遺産とも言うべき嘆かわしい国の資源の無駄な消費だったように思います。


また、日本の政治的没位置()は安倍政権によって、世界に浮上したとは言えません
立場にある要人が亡くなった場合、まして凶弾に倒れた場合、災害や事故で亡くなった場合、海外の方々が弔意を示すことは特別なことではありません。それは国際儀礼であります。平たく言えば、外交辞令というものです。また、故人本人だけでなく国民にも弔意は示されます。それが弔意の形です。遺った方々に向けられてこそ現世の意思伝達が現実化します。遺族を無視した弔意などありません。外交辞令を超えて本当の意味で故人を私淑し高く評価するが故の弔意もありましょう。言い方を換えると、弔意のすべて本当の意味で故人を私淑し高く評価するが故の弔意 です。


日本の商業・産業力、サブカルチュア、スポーツ分野などの存在感や評価に比べると 政治はかなり見劣りがしています。
安倍氏が外国に飛びだって行っていたことを頑張りと称賛する向きはありますが、海外出張はいつも楽しい海外旅行と皮肉りたくなるように、政治家の海外行脚の成果は、その働きぶり、存在感なり発言力は見えず聞こえすで、世界から信頼性を勝ち得るようなところまで寄与しているなどとは到底思えません。
世界の見方・考え方は多岐です。日本は米国の香りのきわめて強い世界観を、世界観とする向きにありますが、米国だけが世界ではありません。欧州はまるで違います、まず気位が違います。スラブ諸国も当然異なります。
などなど。

Shiroは「国際評価、信用度、国際力」の基準として、国連における常任理事国になれるかなれないか、だと考えています。



プーチンのウクライナ侵攻、中国の攻勢外交、アメリカの権勢の陰りーと観てしまうバイデン政権と共和党の言動ぶりと国内分裂、一方で、今後、新興諸国の世界政治への影響力が大きくなる国際舞台の中で、日本は国内政治の、いや政局中心・個人中心の利害に主眼を置いた「田舎政治」を止めて、スタンドプレーでない本当の政治を行い、胆力をもって実力を発揮しないと、従来の影薄・埋没感が益々色を増していく環境に置かれていると思います。


*注
Shiroは 海外の仕事を47年間やってきました。仕事の合間にあちこちの国の方々と直にフランクに意見交換をしてきました。
学生時代に学習した国際関係も含めると半世紀以上です。
Shiroは製造業に身を置きましたが学生時代の友人は商社が多い。
そんな高齢者の独り言が、前述でもあり、以下です。


民間企業の国際貢献度は大変大きく、各産業界で日本の知名度は極めて高いです。
応用技術、貿易、教育、訓練、生産管理/品質管理などの管理手法などは国際社会ではトップレベルです。
民間企業における、積年の血の出るような努力と苦労があってこその結果です。時間軸で観ても 一政権期間などの短期に改変出来るものではありません。今の日本が国際社会で知名度があり評価されている事実は、こうした民間の企業とその人達の時間をかけた貢献によるところが大宗と言っても決して過言でなありません。


人は国を問わず、人となりを見ます。特に海の向こう外国はそうです。この人は本当に自分たちのためにやってくれるのか、をよく観ています。上辺を取り繕った善行は何の役にも立ちません。真のないこと、誠実さのないことはすぐに見透かされます。容赦ない評価をします。そりゃそうでしょう。そうした目線に叶う人徳者たちがこれまで世界のあちこちに居て、何年にもわたって苦労と努力を折り重ねてきた結果が今の日本の存在感を築いたのです。


Shiroの知る限り、イタリアの鉄鋼公社の総裁になった日本人が居ます。つまり外国の国営会社の総裁です。イタリアの政府が自ら選任したのです。数年前故人になりましたが、氏は1961年に初めて船でローマに渡りました。けじめと勧善懲悪を大事にされる人物でした。
海外の、少なくともイタリアの価値観に適合した合理性をモット―とされた方でした。現地の方々に敬意を表される方でした。
現地で信用してもらう、何かをする、そのための要件の一つは「逃げない姿勢を見せる」すなわち、現地に留まる、課題が解決するまで現地に留まることだと氏は考え、これを実行しました。結果半世紀ほど現地で生活を送りました。《上手くいかなかったら本国に帰ってしまえばいい、どうせ彼らはそういう輩さ》と現地の人たちに思わせない、そこを消毒することの大事を心得ていました。
国際貢献度の典型例のひとつです。


1900年台初めに端を発する「日本人学校」のインフラ整備なども 日本の世界での存在感と活躍のためのその礎です。そもそも日本人学校は、国が運営するものではなく現地に進出している民間企業、個人が運営するのでそれを偉そうな目線で、支援できるできないを判断して本国から支援(認可、教員の派遣、一部の資金援助)する、というものです。


安倍元首相の個人の努力がないとは言いませんが、取り立てて語ることではない程度と思います。



統一教会と政治家について
教会の考えと資金集めの手法は、日本の韓国統治の賠償を統一教会が日本政府の肩代わりをしているような やり口に理解してしまいます。
もしそうだとしたら、国家を凌辱する行為に等しいのではないでしょうか。しかも時の政権が黙認しているとしたら世界の笑いものです。大事なことになったとき、そんな国を信用してもらえると思いますか。本国がそんな体たらくで、海外で活動するのはしんどい。
笑われるだけならじっと我慢する手もありましょうが、信用信頼の失墜となると厄介です。


★★★
国葬するなら、国葬に値するなら、皆で送ってあげたいと思います。しかし、岸田総理は 弔意は皆に強請しないとかなんとかわけのわからないことを言っています。国葬と言いながら税金は勝手に使い、見送りは有志だけでみたいな ルールなき無法社会の言動ぶりです。
ものごとは単純明快に考えて、行うべきです。
できないことは、できない要因を取り除く、取り除けないことはしない。



そんなわけで、賛成する気になど全くなれません。


美しい国、美しい故郷を台無しにしないでください。


☘~以上
訪問ありがとうございます。

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