学校のこと、今こそ、学期という形だけなく「教育」の中味も
4月入学を9月にという話題
学期だけの「形」を変えるだけでなく、中身も変えたい。
中味こそ変えたい。
<不毛の議論でなく、成果をだしたい>
平常時には、「しきたり」になって定着しているものごとを変えることは不可能にちかい、
当たり前に当たり前のことができない今こそ「あるべき姿」に変えるチャンスにしたい。
中味:今ー知識偏重の教育。それの出来栄え=点数で、大学の序列を決め,社会全体が、その順列
で、すべての評価基準の大宗とする社会。
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変革
↓
1、知識に加えて、情意の教育、情操の教育、倫理の教育、人間性 (個性)を柱にする。
2、「熟学習」過多の教育は排除 幼児から知識教育に追われ教育・子育て、中学、高
校、大学受験のための「知識偏重」学習を止める
<不毛の議論でなく、成果をだしたい>
提案の背景
その1
明治以降、西洋式近代化が始まって、それに追いつけ追い越せできた。
しかし、もう時代は変わった。ひずみも沢山出てきた。
2019年だけみても東大などの『名門大学』出身者の悪行不祥事は大変多い。
大学だけでなく、上に立つリーダーにも多い。知識偏重崇拝が、社会のゆがみの原因
の元にもなっている。
人間性・文化などを語り考えること=経済活動の 疎外思想、という風潮蔓延の″勘違い″
日本社会。
その2
良い教育は受けたけれど、知識はあるけど「世の中」は良くなっていない
人間社会がどうあるべきか、良くなるためにはどうしたらよいか、民度が向上する
という視点の教育が実践されていない
「悪行」を思い止めさせる「心」が、「心の強さ」が欠け落ちているから。
その3
外の国にあって、日本にないこと(なくはないが、もはや社会的に機能し
なくなってきている)
■西欧社会 教会に行ってお祈りをしたり、牧師さんの講和を聴く、
日常は聖書を読む、文物も聖書に拠る教えがある
■第三国 種族や信仰のルールがあり、教会など社会にビルトイン
した教えが励行される
■日本 仏教、神道があるが、もはや日常のルールとして機能薄になって
いる、お坊さんの話を聞く機会がほとんどない。
その他の国 西欧社会や第三国のように、「ものさし」があって機能して
いる
*日本 家庭、学校、会社組織で、人間社会の生き方を教えなかったら
どこが、教えるだろうか。
そう考えたとき、日本にその受け皿=Safety Netがない。
Shiro は、イタリアで学生をしたとき、他国の学生が「心の根っこ」に
「畏れ」というか「謙虚さ」があることを知った。
同時に「人」をリスペクトする、という気持ち。
悪いこと、社会のルールから外れると他人に魅惑がかかる、
それはNGであること、をしっかり心得ている。
日本流に難しくいえば「個人の基本的人権」をちゃんとに認識する
ということ。良い知識を得る、よいポジションを得るまえに
最優先のこと、という認識。
今は容易に外国に行ける、住める。同じ洋装をし、化粧の仕方・ファッションは西欧より先んじていることもある。故に中味の違いにきづかない。
気付かないが、そこには依然差がある。
★★★
#学校 #教育 #学期