Shiroの見た外の世界

気まぐれに撮り溜めた写真を備忘録として整理しています。 その中から海外で撮った食と風物の絵風景を披露させて頂きます。 とは言え中国に偏ってしまいました。 よろしかったら立ち寄ってみて下さい。

中国―武漢のある「湖北省」素敵なところですよ

■しばらく中国に行けない。会社の指導で中国出張が禁止となっている。

高速鉄道-武漢駅

駅前の眺望

市内のホテルロビー その1



契約したプロジェクトの業務は粛々と進んでいる。


問題は、何か課題ができたときどう対処するか、いやできるか、だ。


中国を含めて外国と仕事したとき、こちらが万策をとっても 相手が「動かなかったら」どうにもならない。
アクションを起こすボールが相手側にあったら、相手が行動をとらない限り前には進まない。


中国の場合、そういう事態になったら、押しかけて行って顏を見ると、彼等はまず動く。

つまり
言って置く」では実行力は上がらない。
教育指導に似ていて「寄り添って、一緒にやる」とものごとは解決することが多い。


ちなみに、中国語の発音は:
「武漢」は 中国では
「うーはん」
イントネーションは うー ハン

うーは、V字型に下がって上がって、はん は一挙に下がる。


武漢には、2017年―2018年に4、5回訪問した
乗換えは、面倒だから成田―武漢に直行便を利用した。
ANA便だ。


成田を18時10分に飛び立って、武漢に22時に着く。
4時間50分余りのフライト
帰りは 9時30分に発って成田に14時に戻る。


毎日便は ANA便の他に、中国国際航空のフライトがある。
その他に
毎日ではないが、中国東方航空、中国南方航空、そして春秋航空が「成田―武漢」を飛んでいる。


武漢は
中国の中核都市。
中国を北・中・南と区分すると「中」にあって、この広い国土の華中にあって最も大きな都市


中国文化と伝統を色濃く残した落ち着いた風情のある都市だ。

武漢市中心部のとあるホテのルロビー


江夏区のレストラン↑


揚子江の川沿いにある
揚子江と支流の漢江の合流点にあって、歴史的には「戦略都市。北の西安(長安)、南の重慶、西の蘭州、東は南京などを結ぶ要所。
すぐ北には三国志に出てくる「赤壁の戦い」で有名な赤壁があったり、戦略家―諸葛孔明が青年期(10年)暮らしていた「襄陽(シャンヤン)」という都市にも近い。

襄陽(シャンヤン)」の郊外の里山に諸葛孔明の草庵(住居)史跡ー古隆中-がある


蜀(現在の成都一帯)の王「劉備」が、四川省の成都からここに三度足を運んで若干25歳ほどの諸葛孔明に軍師になってほしいとこの場所で要請したと言われている。
この襄陽(シャンヤン)には、Shiroがお付き合いしている国営会社の本社がある。
ここには Shiroも何度か足を運んだ。



襄陽(シャンヤン)


襄陽(シャンヤン)



武漢という名前
武昌、漢口、漢陽という3つの町が統合されて武漢市になったということは、武漢市を調べると第一に出てくる説明。
揚子江があるため、肥沃の土地だ。


Shiroが2017-2018年に通ったのは
この町にある ボイラー会社との協業のため。
もともとは町の中心にオフィスも工場もあったのだが、市の行政指導で、郊外地区の「江夏区」―武漢市の西に位置する閑静な場所にある。とはいえ東の端に位置する「空港」と真逆なので、空港を出て、武昌の町、漢口の町を横断して辿りつく。22時に着いてもホテルには12時になる。


揚子江の川沿いであるので、大小の湖が多い。


今はコロナウィルスが先行して想像をできないだろうが湖のある「江夏区」とその周りは、なかなか雰囲気のある風光明媚な味のある町である。



江夏区のレストラン↓




今日本のTVで、放映されるあの人間の地獄絵のようなイメージが想像させる「街」「町」ではない。


武漢には
武漢製鐵所がある。 粗鋼生産では世界第4位、中国第3位の大きな近代製鉄所である。正確には「宝武鋼鉄」、現在は世界3位(旧宝山製鉄所馬鞍山と合併したから)

高速鉄道から見える製鉄所
かつて世界第一位を誇った日本製鐵が中国に最初に協力をしたところである(Shiroの前職の会社のことだから知っている)。
しばらく高速鉄道で武漢市を出ると緑豊かな草原になる。


食事の印象
ちょっと「しょっぱい」のが特徴かな。しかし、白米に良く合う。

湖北省の醤油味ラーメン↓ 美味しい!
これといった尖った特色が無いだけに、普通にごはんが食べられる。
臺菜(たいさい)」というアスパラガスとウドに似た野菜がここ武漢の
名物という。
昔は王様しか食べられない「貴重な」食べものだったと聞いた。



早くに、ウィルスもおとなしくなってもらたいものだ。


~★~★~★
#武漢 #湖北省 #襄陽(しゃんやん) #古隆中 #諸葛孔明 #三国志 #揚子江 #長江

 ★ ミラノとローマはどう違う?


                                          


         


ミラノとは違う、ローマの町に日本人学校なんて無理」と言われた




  

                 
 Q:では何故 ローマの町に30年ほど前まで「日本人学校」がなかったのでしょう?
 

    おもな理由はこれでした
 1)在住の日本人が極めて少ない 
  ⇒学童が少ない
  ⇒学校運営資金が十分ではない
  ⇒運営する人も極めて限定されてしまう
 2)その上、学校記教育に対する考えか方も当然のことながら多岐にわたっている
  ―日本語による日本の教育
  ―国際校による英語教育
  ―現地校による現地教育



そうなると、日本人学校を要望する学童・家庭は極めて少なくなり運営する力(資金・人手)が必要十分ではなくなる


Q:何故、日本の在住者がローマに少ない?
 おもな理由はこれでした
 ―「商業の町」ミラノ」に邦人企業のオフィスが集中(商社・銀行など
 ―ローマは「政治の町、観光の町」―公共機関*・報道・旅行業界
(*在イタリア、在バチカン市国の2つの大使館、文化会館、国連のFAO)
   ↓
  少ない在住者のなかで 公共機関の職員やマスコミ関係者が多い, そして
  芸術分野で活動される方が多い
一方で、
  民間企業の駐在員は観光・運輸などかなり限定的
 
最近は、時代の変遷により事情が変化しつつあるようです。
トリノフィレンツエにも補習授業校というのができています。


               

                                                         




◆◆◆そんなローマの町を舞台に、あんな事情が背景にあるとは知らずに
   赴任した36歳の山辺俊介というサラリーマンがどう行動し、
   どのようなドラマがこの町に、当時の在住日本人の間に展開されたのでしょうか◆◆◆ 
 
   
  この本に展開されています
 
 
この本を読んだら、もっともっとイタリアが分かって興味は深化する
  しかも ごく普通の毎日電車で通勤して汗かくサラリーマン爺さん
(今は)が30年前に現実に冷汗かいてローマで創った学校物語りだから、あっという間に読める…114ページ・660円の読みやすい工夫の文庫本 [芥川賞なんかの小難しいもんじゃない】


*殆どの方が日の当たるイタリアしか知らない!デイープなイタリアを知って欲しい
*今のあたりまえの便利さ が無い世界
*マクドナルドが『イタリア」に初めて出現した時をこの本は見ている
*日本からはアンカレッジを経由してヨーロッパに行っていたこと知っていますか
 
☆☆気が向いたら読んでみてください。
  この程度か「私も描けるわ」と感じていただければ、本望です。☆☆


            ~★~★~★~
#ローマ #イタリア #日本人学校 

拝著『ローマの日本人学校』のあらすじ

◆仕事でイタリアのローマに赴任した主人公〝山辺俊介“36歳は、異国に着任すると「日本人学校を創れ」と言われます。初耳です。しかも、仕事の合間にです。
◆そのうえ、ローマには過去になんどもトライして実らなかった「無理」と言われ因縁の経緯があります。
  ローマはミラノとは違う……どう違うか、次回
お話しします。
■山辺俊介は、家族の課題、事務所の課題をかかえつ
つ、個人を守るか、社会を優先するかの対立軸の中で 深い葛藤に陥り、すごく悩みます。




⇒やがて思案の結果、学校づくりに挑みます。しか し、チャレンジの道は険しい。どきどきハラハラ、この挑戦企画は一体成功するだろうか、紆余曲折のドラマが続きます。
   ( “初めて読みはじめたとき、学校は結局できない んじゃないかと思った!~編集社担当の女史)
しかし、チャレンジを推し進めて行くと社会の協力が 後押しする流れが形成され、一度目の認可申請では失敗するも、二度目の認可申請で日本政府の認める学校が誕生することになります。

さらに、バラバラの町(ここでは二つに割れていた町)、すなわち日本人社会も、一つになる、というもの です。


** 何ごとも、あらすじを読むと簡単に顚末がわかってしまう、しかし読んでおもしろいのはなぜでしょう?
場面場面の小話があり、登場する人間の人間模様があり、時代背景の中で、作品のテーマを軸に、その感情、色、香り、情緒などが絡み合いながらドラマが展開されていくところに、読み手の感情を刺激するハラハラ感があるからです。小説ならそこに表現のマジックが加わるからでしょう**